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最近、毎日のように「いじめ自殺」という言葉を耳にする。
私自身も学生時代、いじめに遭い、何度も自殺を考えた。今だからこそ冷静に考えることができ、その経験から学んだことも多かった、と言うことができる。が、いじめにあっている時は「もう疲れた。死にたい」と、何度も思った。
そんな自分が、今は、生かされて生きていることがうれしくてたまらない。
いじめに遭ったとき、母親に言われた。「いじめてくる子も何かつらい思いを抱えているんじゃない?」。その一言に、「自分のつらい思いをわかってほしい」という思い以上に、大切なことに気づかせてもらった気がした。
実際に、いじめっ子と仲よくなることができたとき、その子が「うちのばばぁ(母親)が弁当をつくってくれない」「親父もおふくろも仕事で、最近全然顔を合わせていない」と話すのを聞いたことがあった。「いじめっ子は、本当は寂しかったんだ」と強く実感した。
人間は誰もが寂しさを抱え、「自分のことをわかってもらいたい、認めてもらいたい、ほめてもらいたい」という思いを持っていると、私は思う。特に子供のころは、親に対して、そういう気持ちを強く持つのではないだろうか。だからこそ、親子でコミュニケーションをとることがとても重要だと思う。事実、私がいじめを乗り越えることができたのは、親とコミュニケーションをとることができるようになったからだと断言できる。
「安心感」――これは生きていく上で欠かせないものだ。親をはじめ、自分を必要としてくれる人たちがいる。だからこそ「生きよう!」と強く思える。
12月、人事異動で青年本部を離れることになった。自分にとって最後のエッセイを綴りながら、今後も多くの人の幸せを念じ、人の役に立てるよう生きていきたいと願う。
Y.M(元 青年本部)
2006.12.14 update
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