|
戦後61年…。「戦後」という意識のある人間は、年を重ねるごとに減っているのではないだろうか。かく言う私も、“先進国”日本に生まれ、物質文明を謳歌している日本人の一人だ。およそ60年前、戦火に傷ついた日本人は、焼け野原の大地に膝をつき愕然としながらも、戦争を否定する道を選び、新生日本を建設しようと誓った。その後、経済大国を築いたのも日本人、バブル景気に踊ったのも日本人であった。そこには、同じ日本に住みながら、生きた時代背景により、まったく違う国に住んでいるかのような意識の格差があるように思われる。そして最近では、自発的な社会参加ができないニートと呼ばれる日本人も誕生した。約85万人といわれるニートの誕生日は21世紀初頭と歴史に記されるであろう。
20世紀を生きぬいた祖父の言葉を思い出す。
「生きるとは、働くことである…」
強烈に胸に響く格言であった。生きることと働くことが同義であるという価値観を持つ祖父の眼に、働く意思のない若者はどのように映るのだろうか。祖父は、通信兵として南京侵攻にも加わり、終戦はトラック島(現ミクロネシア・チューク島)で迎えた。現地語を習得している祖父は、バイリンガルである。大学ノートには戦時中の数多くの記録が綴られていて、当時を振り返りながら戦争体験を話してくれた。そして一昨年、戦後という言葉の風化が指摘される中で他界した。享年91歳だった。
今夏、平和学習会で沖縄へ行かせていただいた。そこで学んだことは、平和のことではない。すべてが戦争のことであった。人間の命が非常に軽く感じられる悲惨な地獄のような状況を知ることにより、平和な日本、平和な世界を築きたいという願いが心の奥から涌いてきたのを覚えている。それが未来に対する責任だと思った。そして沖縄で、戦争を風化させてはいけないという意地のようなものを感じた。
今後、日本は全体主義に傾き、少数意見や弱者が切り捨てられ、ニートの数が倍増するというような状況も考えられるのではないか。「超格差社会」では、彼らニートの逆襲はありえない。そういう未来予想の中で大事になる価値観とは何か。それは、過酷な状況下にあっても、自分の人生を良くしたい、日本を平和にしたいという「意地」であるような気がする。戦後61年を経た今日にあって、戦争の悲惨さを風化させずに伝え続ける方たちのような、努力を支える意地が未来を拓く。そう思えてならない。
伊藤恭司(東京教区)
2006.09.28 update
|