今年3月2日に長男が誕生しました。息子・大翔(ひろと)の誕生によって、私は今までにない感動を味わっています。結婚8年目、33歳にしてやっと子供を授かり、息子と一緒にいられるだけで、なんとも表現できないうれしさをかみ締めています。
そうした中で、ふと思ったことがあります。それは、開祖さまのご家族が菅沼に疎開されていた10年間、そして東京での別居生活の3年間、開祖さまはご家族に対してどのような思いでいらっしゃったのかということです。
ご著書には、「幼い子供がそばにやってきて、じっと私を見上げているのを見ると、思わず抱き上げて頬ずりしてやりたい気持ちがこみ上げてきたが、『これも修行だ』と、ずっとそれを押さえた」(『庭野日敬自伝』より引用)とあります。開祖さまはその当時のことを振り返られて、自分を本物にしてくださるための試練だったと受け止められていらっしゃいますが、そのように受け止められるまでにはどんなことを思い、修行をされていたのでしょうか。
それに引き換え、私はどうなんだろう、と考えています。今、妻と子供は妻の実家にいます。電話をすれば息子の声を聞かせてもらい、写真を撮ったと聞けば、パソコンへデータを送ってもらうことができます。離れていても、心の中ではいつも妻と子供のことを思い浮かべながら、日々を過ごしています。このような幸せを頂いているのも、開祖さまをはじめ草創期から修行を積んでくださった先輩の方々のおかげさまだと思わずにはいられません。
「開祖生誕100年」の節目の時、新しい家族と共に修行できるこの身に感謝しつつ、先達の積んでくださった功徳に報いられるよう、いつも開祖さまを感じながら、信仰の道を歩んでいきたいと思っております。
境大雅(奥羽教区)
2006.03.30 update |