| 神戸にある祥福寺というお寺で、坐禅をさせていただいた。
車の往来する通りから、ほんのわずか山側に登ったところにあるお寺だが、そこは別世界のように静寂に包まれていた。秋のやさしい陽射しと、風に揺れる木々の緑が心を落ち着かせてくれる。
開祖さまもこのお寺を訪ねられたことがあり、その時、先代の住職であられた山田無文老師と対談されている。
私たちは坐禅をした後、現住職の河野太通老師からご講話を頂いた。
講話の中で、印象に残ったことが二つあった。
ひとつは、坐禅の時に教えていただいた丹田腹式深呼吸法だ。
「ひとーつ」と心の中で数えながら息を吐ききる。3秒ほど止めて、鼻から吸う。十まで数えたら、また、ひとつに戻る。
河野老師は言われた。
「息を吐くことは死ぬこと。息を吐いて、死にきる。死にきらないと生ききれない。正しく死ねたら、気持ちいい。一息で生死を繰り返し、味わうのです。それが一息坐禅です」
息を吐ききって、3秒止めるところが大事なのだという。死にきったところを味わうのだ。
死ぬとは無心になること。何にも思わぬことが仏のけいこになる。
たしかに邪念があると、人に親切にする時にも、その人に気に入ってもらいたいとか、取り入ろうとする下心が働くように思う。
「無心で人に親切にしていく」「死にきったところ、無心から新たな思いを起していく」
そのためにも、この丹田腹式深呼吸法を続けていこうと思った。
もう一つ印象に残ったのは、老師の「諸法実相」の解釈だった。子どもを亡くした母親、ゴータミーの逸話の中で、「死んだ子はつまらない。生きている子がすばらしい。だから生き返らせたい」と思っていた母親が最後に悟ったことは、「生きている子もすばらしいが、死んだ子もすばらしい」ということなのだと話してくださった。
それが諸法実相なのだと。諸法実相、つまり、もろもろの存在の真実は「すべてのものはすばらしい。みんなすばらしい」ということ。
諸法実相を説明するのは難しい、と思っていた私は、この一言で表された解釈に、とてもすっきりした気持ちになった。
(K.H)
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