| 私は古着の虜である。
中学生のころからだろうか。デザインや生地の感じ、着心地の良さ、ニュートラルな雰囲気が何ともいえない魅力だ。自分のお気に入りにめぐり合えたときは、運命的な出会いを感じてしまう。新作のような華やかさはなくても、それぞれがいろいろな顔を持ち、また味わいを持つ古着を見つめていると、ふと両親の姿を思い出す。
私の父は、陰日向なくいつも黙々と働く人。母は、つらいことがあっても明るさを忘れない、元気な人だ。そんな両親は、私たちきょうだいのそれぞれの持ち味を大切にし、いつも平等に接してくれた。私は、父のようにどんなときでも陰日向なく、誠実な人でありたいと思う。そして、母のように周りの人を元気にするようなパワフルな人でありたいとも思っている。
法華経の中にある『三草二木の譬え』では、「大きな木にも小さな草にも平等に雨は注ぎ、それぞれにふさわしい成長を遂げる」と説かれている。「みんな違ってみんないい」というメッセージ。どんな場所でも前向きに、それぞれの持ち味を大切にする生き方を教えてくれている。
最近、周囲の人に、「どんな時でもコツコツと努力できる人だね」と言ってもらえることが増えた。両親が身をもって示してくれた生き方に、ちょっぴりではあるが、近づけているかと思うとうれしい。同時にそれは、両親が大切に育ててくれた私の持ち味だとも思っている。両親が私にしてくれたように、今度は私が、触れ合う人々のそれぞれの持ち味を生かせるようになりたい。
それぞれがいろいろな顔を持ち、味わいを持っている――。古着の虜になった理由はそんなところに通じているのかもしれない。
まもなく帰省の季節を迎える。たくさんの思い出と、素晴らしい「古着チックな生き方」を教えてくれた両親に、“感謝のお中元”を早く届けたい。
(あ) |