| 会員綱領の最後に「菩薩行」とあります。皆さんは菩薩行と聞いてどんなことを感じられるでしょうか。ちょっと大変なことと感じる方がいるかもしれませんし、またはできる限り「人さま」のためにと努力されている方もいるかもしれません。
立正佼成会では、菩薩行の実践を通して自他ともに幸せになっていくことを眼目としています。
具体的には、自分から先にあいさつする。朝夕、ご宝前に手を合わせる。ユニセフ募金やイラク緊急救援募金に参加することなども、身近な菩薩行の一つです。要は、前述の通り、「まず人さま」の実践にほかなりません。
人間が一番うれしいとき、それは「人に喜んでもらえたとき」です。おいしいものを食べたときは確かにうれしくなります。しかし、自分が苦労して調理したものを「おいしい」と喜んでもらえた方がはるかにうれしいですね。
人のお役に立つことは、何ともいえないすがすがしい喜びを実感できる場でもあるわけです。この思いを仏教では「仏性」と呼びます。仏さまと同じように「みんなに喜んでもらいたい。幸せになってもらいたい」と願う心のことです。菩薩行の実践は、まさに「仏性」をピカピカに磨き上げていくことにほかなりません。
開祖さまは、次のように教えてくださいます。
菩薩行とは現実の汚れの多い世界から逃げ出さずに、すべての人にそなわる仏性に働きかけて自他ともにそれを磨き出していく実践です。人さまに積極的に働きかけていくことによって、人は自分の本当の姿に目覚めることができます。そして、すべての人の仏性をいきいきと発現させるために手を差し伸べ、この現実の社会を理想の世界に変えようと努力し続けるのが菩薩なのです。
菩薩行というと一大決心を要する大仕事と考えがちですが、その願いを持てば、どんな小さなことも菩薩行です。知識があればその知識で、体力があれば体力で人に尽くし、社会に尽くしていく。それがそのまま寂光土建設の菩薩行なのです。
(『開祖随感2』)
では、私たちにできる究極の菩薩行は何でしょうか。それは、今まで自分が歩んできた経験を生かして、人のお役に立てるように努力させていただくことです。自分が身をもってつかんだ人生の醍醐味を、人の幸せのために捧げることです。
自分の苦しみを乗り越えた体験が、まわりの人の救いにつながった体験を紹介します。
東京下町の雑居ビル。3階にはNさんの事務所がある。「倒産者の駆け込み寺」。経営難に苦しむ経営者達の相談に無料で応じている。かつては、Nさん自身も経営者だった。本社ビルのほか、各地に工場を持っていた。しかし、ドルショックのあおりを受け倒産。無一文になった。新聞には、企業の倒産による「一家心中」「自殺」という見出しが躍っていた。記事の中の「自殺者には話し相手がいない」という言葉が目に留まった。自分自身も倒産の経験者。死にたい気持ちは身に染みて分かる。〈自分が話し相手になろう〉。相談室を始めたきっかけだった。
最初は、相談者から学ぼうと考えていた。ところが相談に乗った相手が、心から喜んでくれた。〈人から喜んでもらえることがこんなにもうれしいものなのか〉生まれて初めての経験だった。相談室を始めてからというもの、連休がとれたことはない。盆や正月でも、お構いなしに電話が鳴る。「心を立て直せ」「金に執着する心を変えろ」親身のアドバイスにも、耳を貸さない人が多い。罵声を浴びせられることもある。だが、決して辞めたいとは思わない。金では買えない喜び――触れ合った人たちから分けてもらってきたからだ。事務所の壁には標語がいくつも張られている。「尽くして尽くして忘れる」。この言葉を、Nさん自身は自分自身の戒めにしている。
(『佼成新聞』続・法華経のこころ)
いかがでしょうか。自分の味わった体験が、人さまを救う手立てになる……こんな素晴らしい人生があるでしょうか。
開祖さまは、この醍醐味を私たちに身をもって伝え続けてくださいました。
最後に私たちに託してくださった、開祖さまの願いをかみしめさせていただきたいと思います。
最初は私を含めてわずか三十人足らずで歩き始めた細い道が、いまかたちをなして、この道を歩めばだれもが幸せになれる、と認めてもらえるようになった。だから私はみなさんに、私たちが歩んできたこの道を歩いてほしいのである。私を超えて、さらに前進しつづけてもらいたいのである。
その大道は、みなさんから遠く離れたところにあるのではない。みなさんのその足下がそのまま大道になるのだということを、忘れないでいただきたい。
(『この道』)
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