| 人間は何かを信じて生きています。例えば、コンビニで売っている食べ物に毒が入っているとは思わないでしょうし、自分が乗る飛行機が落ちると思って搭乗することはないでしょう。そのように普段何気なく過ごしているように見えて、人間はまわりにあるものを信じて生きています。逆に一つ一つのものに疑いをもっていたら、何を見ても信じられず悩み苦しんでしまい、何もできなくなってしまうでしょう。
では「信じる」といっても、何を信じたらいいのでしょうか。それには二つのポイントがあります。まずは、できるだけ怪しくなく、信用できるものを見つけることです。盲目的に怪しいものを信じてしまうと、自分を不幸にし、まわりに害を与える危険性も生じるからです。
ですから、まず私たちは信用性の高いものと出会うことが非常に大切になってくるのです。
そして、次に「時代によって変化してしまうものを信じても、自分が幸せになれるとは限らない」ということです。
今、流行しているものを信じれば、確かに一時は楽しめるかもしれません。
しかし、流行のものはあまり長続きしないのが世の常です。おそらく十、二十年経ったらあまり価値のないものになってしまうものがほとんどでしょう。今、流行のファッションや歌などを見てみれば説明する必要はないでしょう。次々に変化をし、その変化に対応するだけで終わってしまい。結局流行のものを頼りにして自分が本当の幸せと実感できるものを見つけることは非常に難しいといえるはずです。
例をあげれば、「携帯型電子ペット」やあざらしの「タマちゃん」などのように流行している時には絶大な人気を誇りますが、時が過ぎればあっという間になにごともなかったかのようにすたれてしまいます。
そのように流行っているものに熱中し、時間やお金をつぎ込んだとしても、自分の心に得られるものは一時の楽しみや喜びにしかならないことはまず間違いのないことでしょう。
では、そうした怪しいものを見極め、一時の流行すたりをよりどころとせず、いったい人間はどんなものを頼りにして生きていけば、本当の幸せをつかむことができるのでしょうか。
私たちにとってよりどころとはなるものは何か。「仏さまの教え」といえるでしょう。
なぜなら、仏さまの教えが時代と共にすたれていないのは、怪しいことがなく、信頼性の高い確かな証です。仏さまの教えは二千五百年経っている現在でも生き生きと存在しています。その事実そのものが何よりも信頼できる確かな証拠と言えるのです。
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