| 「人格の完成」と聞いて、皆さんはどんな印象を受けますか? 今の自分ではとても無理だと感じる方もいれば、ピンとこないと感じる方もいらっしゃるかもしれません。
確かに人間は未熟で未完成な生き物です。ちょっとしたことでカッとなったり、人のことなんてどうでもいいと感じてしまったりするわがままなところもあります。そんな嫌いな一面を、ふと我に返って見つめてみればみるほど、自分はダメな人間だと落ち込んだり、自分の可能性をまったく信じられなくなったりした経験はありませんか。
「もっと人にやさしくなりたい」「自分らしさを発揮したい」と心の底で思いながらも、現実の自分の姿を見つめれば見つめるほど、理想と現実の違いに何とも言えない切ない思いをした体験は、誰にでもあるでしょう。果たしてそんな未完成な人間が人格の完成を達成することができるのでしょうか。
お経文の中に、
「若し法を聞くことあらん者は 一りとして成仏せずということなけん 諸仏の本誓願は 我が所行の仏道を 普く衆生をして 亦同じく此の道を得せしめんと欲す」
(『法華三部経』P77)
とありますように、仏さまは人間の愚かさや醜さを受けとめつつ、すべての人間に存在するかけがえのなさや尊さを信じてくださり、もともと人間の中に存在する無限の可能性を発揮するためのあり方を示してくださるのです。
だからこそ、人間として生まれた以上は誰もが持ち合わしている仏さまのような心、思いやりのある温かい人間になることができます。仏さまの教えを身につけていけば必ず人格の完成は達成できるのです。
そのような願いを知って生きていくのと、知らずして生きていくのとどちらが幸せになれるでしょうか。
改めて、自分にとっての人格の完成とは何か……。
今一度自分自身の心を見つめながら、次項を学んでいきたいと思います。 |