| では、私たちは法華経の精神を持って具体的に何を実践することができるでしょうか?
自分自身が今、どういう中で生活を営んでいるか、どういう立場で人生を過ごしているか考えてみましょう。
家庭・教会・職場や地域社会など自分が生活している世界というのは限られてきます。
そして、私たちはその生活する場所において、立場もさまざまですし、いろいろな出会いもあります。その置かれている立場や出会いを通して何を実践したらよいのでしょうか。
開祖さまは、さまざまな宗教体験を経た後、100%人が救われる法華経の教えに出合われました。そして、その喜びを人さまに説かれ、人さまの喜びを自分の喜びとして、その尊い教えが今日私たちに受け継がれているのです。
しかし、私たちは「自分の問題を解決するために……」という心だけで信仰してはいないでしょうか。
会長先生は次のようにおっしゃっています。
自分だけの幸せではなく、まわりのみんなの幸せを念じ、人びとの幸せのために喜んで尽くしたい、そういう自分であることに気づき、そこから新たな歩みが始まります。
慈悲とは、すなわち一人ひとりに真理・法を伝えることです。それが人間の、真のあたたかさです。それは、自己の内にある仏の願いです。そのことをしっかり自覚し、仏道を歩んでまいりたいものです。
(『心田を耕す』)
日常生活においても、人さまの喜びを私の喜びとして味わうことができるならば、それこそが「在家仏教の精神」が生活の場に活かされている証です。
さらに混沌とする現在の社会情勢の中で、私たち一人ひとりが三宝(仏・法・僧)に帰依する念をしっかり持ち、泥の中に咲く一輪の蓮華のようにふれあう方々を安心させてあげられる存在に、そして人々に布教伝道できるご縁にならせていただきたいものです。
最後に、ある女子部員さんの体験を紹介します。
最近、女子部K子さんは同じ職場に働くパートのおばさんが浮かない顔をしていることが気になっていました。K子さんは思い切って声をかけてみました。
「どうしたんですか? 最近元気がないですね? おばちゃんらしくないですよ。」
「うん。一緒に働いている人とうまくいかないの。嫌なところばかり見えて、働いていてもおもしろくないわ」
その翌日、K子さんは『佼成』を手渡しながらことばを添えました。
「あまり言ってなかったけど、私は立正佼成会という宗教団体に入っているんです。この本にいいこといっぱい載っているから、一度読んでみてください」と。
職場ではあまり佼成会のことを話さなかったK子さんにとっては、ちょっと勇気のいることでした。でも、心の中の壁が取り払われたような気持ちになり、すがすがしい気分でした。
そしてその翌日、おばさんはK子さんの顔を見るなり小走りに駆け寄り、明るさを取り戻した顔を見せてくれました。
「K子さん、ありがとう。あの開祖さんが言っていた『人の良いところを観ていく』の一言。私もあの人の良いところを観ていくようにするわ。本当にありがとう」
”おばちゃんの笑顔“が何よりもうれしかったK子さん。その後もお手どりを続けさせていただいているとのことです。 |