| 私たちは、誰かに支えられたり、必要とされたりしていると感じたときに、安らぎを覚えます。自分の存在(いのち)を尊んでもらえたときともいえましょう。さらには、仏さまのメッセージを感じたとき、真の安らぎを味わえるのではないでしょうか。
仏教では「森羅万象みな仏さまの説法」と教えていただきます。自分の周囲には、幸せにつながる仏さまのメッセージが込められているということです。
青梅練成会での出来事です。職場の人間関係に悩んでいた方が、早朝に行われた「青梅ウォーク」に参加されました。二キロの山道には、登りや下り、水溜りや足場の悪いところなどがありました。歩いているうちに「ああ、人生も一緒だ。いろんな道があって当たり前だ」とふと感じ、悩みに前向きに取り組む勇気がわいてきたそうです。
いわば彼は、山道に仏さまを感じたわけです。
では、生活の中で仏さまを感じていくにはどうしたらよいでしょうか。
日常生活で、お釈迦さまならどうするだろう。開祖さま、会長先生ならどうするだろうかと意識していくことが一つにはあげられます。そうした求道心をもって、仏さまの説法を「聴法」していく努力をしていく中に、年齢や性別を超えて出会う人々や、身の回りの出来事に「仏さま」のメッセージを感じていくことができるようになるのです。
ある家族の手記を紹介します。
今年四歳を迎える娘が七夕に書いた短冊を見てみると、「おかあさんになりたい」と書いてありました。かわいらしい素朴な夢に心洗われる思いをしたのを覚えています。先日、その娘にどうしてお母さんになりたいのか聴いてみると、「だってママがいつも世界中には貧しくて食べられない子どもたちが、たくさんいるって言ってたでしょ。私は、お母さんになって、そういう子どもたちにご飯を作ってあげたいの!」と応えました。はにかみながらほほ笑んでいる娘の心にも仏が息づいているのですね。夫婦で感動しながら娘を拝ませてもらいました。
何気ない親子の会話の中に仏さまの願いが込められています。
法華経に「一心欲見仏」(ただひたすらに仏さまにお会いしたいと願う)という経文があります。その願いを胸に生きていくことが、日常生活に仏さまのメッセージを感じていく私たち在家仏教徒の生き方なのです。そして、自分だけの心の安穏にとどまることなく、まわりの方々にもそれをお分けしたいと願い、自らが後ろ姿で実践することが法華経の精神なのです。 |