| 「救い」という言葉から何をイメージするでしょうか。世間的な価値観からすると、病気が治ること、金銭的に余裕ができること、寂しい心が満たされることなど、個人的な悩みの解決を連想される方が多いかもしれませんね。
卑近な例えですが、二日酔いのときのことを考えてみましょう。頭痛と気分の悪い状態に苦しみ、「とにかく早く楽になりたい」と願います。やがて回復し、「もう深酒はしないぞ」と、その場は決意します。でも悲しいかな、時がたつとまた二日酔いをするほどお酒を飲んでしまう……日常的にはよくある話です。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という諺があります。苦しい経験も過ぎ去ると、すっかり忘れるという意味なのですが、まさに私たちの人生はこの繰り返しかもしれません。
では「仏教の本質的な救われ方」とは、どういうことでしょうか。「本質」を辞書で調べてみますと「それ抜きには考えられない大事な要素」とありますので、「仏教の最も大切な要素を含んだ救われ方」と言えましょう。
脇祖さまは、次のようにおっしゃっています。
新しい信者さんたちの悩みを聞いてみますと『これさえ解決できれば、それだけで私は幸せです』というように、ほんの一つか二つの悩みごとのために、自分くらい不幸な者はいないと、どなたも思っているのでございます。(中略)重荷にしていたものを取っていただいて『ああ、よかった』と感謝をして一時は喜んでも、悩み苦しみの根本の原因≠知らないうちは、結局、別な心の重荷を同じだけ背負って苦しまなければならないのでございます。病気・災難、すべての悩みごとは偶然に巡ってきたのだと考え、ただその解決だけを願っても、それだけでは幸せが得られるものではありません。
(中略)
心を正し、曇りを除いて、人を恨む心を捨てて行うなら、求めずして幸せが与えられます。
(『法華経実践の道のり』)
苦の解決だけにとどまらず、自分自身の心を立て直しながら成長していくところに、本当の幸せの道が待っていることになります。この点をポイントにしながら、次項を読み進んでみてください。 |