――菩薩行に生きる、布施に生きる
法華経は、菩薩行を促す教えでもあります。平易には「親切な思いやりの行動」といえましょう。その菩薩行の一つに「布施」があげられます。
会長先生は、次のようにおっしゃっています。
布施をやさしく表現すると、「与える」となります。「布施」には慈悲心・情け・思いやりなどの意味がありますから、「与える」というのは、相手の幸せを思いやるということになります。
(中略)
釈尊は「まず与えなさい」といわれます。「自分のことの前に、人のために尽くしなさい」と教えています。
仏教は、他の利益を先にするところに自らのほんとうの利益があるのだと教えるのです。「与える」ことは、それによって相手が幸せになるだけでなく、自分が幸せになるのです。このことは実践した多くの方が体験し、証明しています。
(『心田を耕す』)
人間誰しも劣等感はつきものですが、その卑屈な心でさえ、布施を活用さえすれば人生の宝物になるのです。ある自動車会社に就職した青年の例を紹介します。
彼は、入社時に事務職の仕事を希望したのですが、一年間は研修ということで車のセールスをすることになりました。口下手で照れ屋な彼は「私は○○自動車の車のセールスマンです」と切り出すことができません。そうしているうちに、訪問した家のベルを押すのもイヤになりました。当然、車は売れません。
しかし、彼は人の話を聞くのはイヤではありませんでした。暇をみては知り合いを訪ね、話を聞いていくうちに、車の修理を頼まれることが多くなってきました。「修理くらいで喜んでもらえるのなら」と、彼はセールスの仕事を忘れて車の修理に歩きました。そうしているうちに、次第に車の契約が取れていったのです。彼は、車を売るためにセールスをしたわけではありません。人に喜んでもらえることがうれしかっただけでした。自分の願いを満足させるよりも、人が喜ぶことを優先させた姿勢だったわけです。
現在、彼は一流の車のセールスマンになって活躍しています。口下手は相変わらずだそうですが、その課題をそのままに抱え込みながら、それを車の修理というサービスの中で生かしたのです。彼は、「口下手で照れ屋であったことが有り難かった」と語っています。
この青年の生き方が示すように、マイナス感情と思われる劣等感を布施に生かすならば、排除する必要は何もないのです
このように、「無駄なものは一つもない。すべては必要あって存在している」と説かれてあるのが法華経の醍醐味なのです。 |