――みんな仏になれる教え
私たちのよりどころとしている妙法蓮華経(法華経)には「人間は俗世の中で生活しながら、それに染まることなく、とらわれることもない美しい生活、自由自在な生活ができる」という意味があります。
この教えには、仏さまのメッセージがたくさん残されていますが、その要は何でしょうか。
開祖さまは、次のように述べられています。
仏がこの世に出現されるのは、ただひとつの目的すなわち「衆生のすべてに『仏の智慧』を得させるため」、いいかえれば「衆生のすべてに『自分も仏になれるのだ』という悟りを得させるため」なのです。
(『法華経の新しい解釈』)
では「仏になる(成仏)」とはどういうことかを具体的に考えてみましょう。
一般的には「お釈迦さまのように大変な修行をして、完全円満な人格を具えること」と、自分とはずいぶんかけ離れた世界にあるように受けとめてしまうかもしれません。
仏さまの心というのは、すべてのものを生かし、和合させるという宇宙意志なのですからね。小さな我を捨てて、天真爛漫に人のふところに飛び込んでいけば、かならずそこに和合が生じます。その和合の喜びこそが、人生最大の喜びですよ。成仏ですよ。
(『躍進』80・10)
このように開祖さまはおっしゃっています。つまり、自分の価値観はさておいて、他人の価値観に思い切って合わせていく。そうするなかに「みんなと仲良くなれてうれしい」という人間として一番うれしい感動を味わっていく……これこそが「仏になる(成仏)」ということです。
ある青年の体験を紹介します。
小児マヒで体が不自由な私は、親に反発を感じていた。菅沼団参で私はそんな自分を振り返った。苦しみがあっても私は親に何も相談しなかった。そんな私を親はどんな思いで見守ってくれていたのだろう。苦しいのは自分だけと思い、心を閉ざし続けていた自分は親不孝ものだったと思うと、泣けて泣けて仕方なくなってしまった。
教会長さんから「何でもうち溶け合って話し合うのが本当の親子なんだよ」と教えて頂いたこともかみしめ、教会に帰ると私はさっそく親に電話をし、親不孝のサンゲするとともに、一人で悩んでいたことなどをあらいざらい話させてもらった。その時、初めて親子が一体になることができ、ご法の素晴らしさと感動で涙が止まらなくなってしまった。
頑なな自分の心を内省し、教会長さんのご指導を受けて、親御さんのふところに思い切って飛び込んでいったとき、初めて親子の絆が結ばれた姿。彼にとっての「仏になれた」瞬間ではないでしょうか。
「思いやり」の心で尽くせたとき、そして相手の方の「思いやり」に気づき、一体感になれたときに、私たちは癒され、人生が満たされていく感動を実感します。ほんの一瞬かもしれませんが、こうした「仏になれた」実感の中にこそ、確かに私たちは人生そのものが、根底から変わる手応えを得ることができます。 |