人生も仏さまの教えもチャレンジの連続
八海山登山を通して、限界に挑戦
みなさんもすでにご存じかと思いますが、開祖さまは15歳(数え歳)の夏、新潟県の名山の一つで、古くから信仰の山として知られる八海山(標高1778メートル)の登頂を果たされました。そのときの心境を、ご著書『庭野日敬自伝』のなかでこのように記されています。
「息を切らし、汗みどろになりながらその頂上を極めたときの気持ちは、なんとも形容のできない快さであった。青々とひろがる越後の国原と、目路のかぎりうら霞んでいる日本海の広さを見渡したとき、腹の底から勇気のようなものが力強くわいてくるのを覚えた」
このとき、開祖さまは「これだけの険しい山を登りきることができた」という大きな自信を得るとともに、心に生涯の決意を刻まれたといいます。
私も2004年の9月、新潟教区の中学生たちと八海山に登頂させていただきました。八海山登山は学林生のとき以来、2度目でしたが、年齢とともに体力も落ちていますから、当初、不安な面もありました。
しかし、それだけに真剣で、(登らせていただける自分になりたい。何とか山頂までお導きください)と仏さまを念じながら、険しい登山道を一歩一歩踏みしめ、約6時間かけてお陰さまで登頂することができました。その意味では私の場合、自分の体力で登ったというより、仏さまを念ずる心の大切さ、仏さまに護られている自分というものを、あらためて実感させていただきました。
また、山頂では中学生全員が、開祖さまの体験にちなんだ「立志式」に臨み、それぞれが将来の夢や希望を大きな声で叫んでいました。
自分を信じて、チャレンジする
2004年の夏に開催されたアテネオリンピックは、私たちに大きな感動を与えてくれました。特に、日本選手団は金メダル16個を含めて五輪史上最大の37個のメダルを獲得しましたが、柔道で金メダルを獲得したある選手はコーチから「自分を信じて戦いなさい」と言われたそうです。
「自分を信じる」というのは、言い換えれば「あれだけの厳しい練習をやり抜いてきた自分がある」ということです。そう思えるからこそ、不安が自信に変わり、「あとは全力で相手にぶつかるだけだ」という気持ちで戦うことができ、結果的に金メダルの獲得につながったのだと思います。
中高生のみなさんも、これから歩む人生のなかで、さまざまな出来事に直面すると思います。楽しいことやうれしいことより、むしろつらいことや困難なことのほうが多いかもしれません。中学3年生や高校3年生のみなさんにとっては、目前に受験が迫っていますね。そのように困難な問題や悪条件に遭遇したとき、そこから逃げたり、条件のせいにしたりするのではなく、積極的にチャレンジしていく生き方が、とても大切だと思います。
たとえば、自分のクラスがまとまらないとしますね。そんなとき、「先生が悪いからクラスがまとまらないんだ」とか「あの友だちがいるからだ」などと言って、“人のせい”にするのではなく、積極的に「これは自分の問題なんだ」と受けとめる。そして、「自分の問題」として受けとめるからこそ、「このクラスを何とかいいクラスにできないだろうか」と思って、チャレンジするわけです。
最初から、「私には無理だ」と自分の限界を決めつけてしまったり、チャレンジする前から「ぼくにはできない」と、あきらめてしまったりするのではなく、自分を信じて、チャレンジしていく生き方が、とても大切になると思います。そのように何事にもチャレンジしていくことが人生であり、仏さまの教えそのものだと思います。
なぜなら、勉強でもスポーツでも、自分のことを完璧だと思っている人はチャレンジすることはないでしょう。「自分はまだ至らない存在だ。もっと向上したい、いま以上にうまくなりたい」といった気持ちや願いがあるから、自分の可能性や限界にチャレンジするわけです。
仏さまの教えも、私たちが仏さまをめざして(人格完成)、日々、修行・精進しているわけですから、いわば一生がチャレンジの連続といえます。そのように人生におけるさまざまな困難な問題や試練に対して、「やればできる。トライしよう」と前向きにチャレンジしていくことが、ひいては自らの成長や自信につながっていくのです。
(『すこぶーる』2号より転載)
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