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「『いじめ』について考える」をテーマにした座談会での体験や意見を拝読し、改めていじめの問題を深く考えさせられました。
いじめは、いま始まったことではありません。私の小学校時代にも、似たようなことはありました。しかし最近は、メールやネットを使ったいじめも行なわれています。だれがやっているのかわからない状況でさえあるのです。
いじめは、なぜ起きるのでしょうか。人間の心理には、自分と異なるものを否定するという性質があるそうです。あるいは自分と異なるものをあえてつくりだして、それを否定することによって自分を正当化するという一面もあるそうです。つまり、自分だけが正しいという自己中心的な考え方が、他の人との対立を生じさせていると思うのです。
この自己中心の考え方によってつくられる苦しみの世界から抜けきれない人びとを救いたいと願って、お釈迦さまは法を説かれたのです。その教えの根本になるのが「すべての存在は大いなる一つのいのちに貫かれている尊い存在である」ということです。すべてのいのちは孤立しているように見えるかもしれませんが、すべては一つの仏のいのちであり、つながりあっているのです。そして、限りあるいのちの大切さを認識することが大事であるということなのです。
いのちの尊さとは、簡単に言うと、自分を大切にすることだと思います。自分を大切にできる人は、他の人も大切にできるはずです。座談会のなかで、D子さんがクラスのなかで孤立している同級生に対して「一緒にあいさつしよう」と声をかけ、それを続けていった結果、その子が立ち直り、みんなとも仲よくなれたと発言されています。D子さんという一人の存在が縁となって、クラスの状況が一変したわけです。まさに「自分が変われば相手が変わる」ことの証明ではないでしょうか。
開祖さまは常に人さまのことを思い、救いの手を差し伸べられてきました。また戦争や宗教者同士の争いがなくなることを願って、世界各地へ出かけ、平和のために働きかけてこられたのです。開祖さまが世界の平和を願ってなされてきたことと、みなさんがいじめを受けている子に対して手を差し伸べることは、人さまの幸せを願う点においては根本的に同じなのです。
「おはよう!」というあいさつや、「どうしたの?」と声をかける自らの働きかけが、必ずや個人や組織の状況を好転させていくきっかけになるのです。みなさんも是非、開祖さまをお手本とさせていただき、いじめられている子がいたら自分から積極的に働きかけていく、そういう勇気をもった部員さんになっていただきたいと思います。また、道場で学生部の集まりがあるときにも、是非お誘いしていただきたいのです。学生部の仲間と共に考え、共に学び、共に喜び合っていくなかで、苦しみを乗り越えていける智慧がきっと見いだせるはずです。
『すこぶ〜る』9号 「いじめ」について考える より
(07.04.06
update)
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