| 仏さまにひれ伏して生きる
婦人部のみなさんは日々、ご法修行に励んでおられます。その願い、動機は人によってさまざまでしょうが、苦の解決、願望成就が仏道修行の最終目的でないことはみなさんもご存知のとおりです。
私たちが日々、読誦している『法華経』では、「久遠の本仏」が明らかにされます。「久遠の本仏」とは、この世に存在するすべてのものを生かしている宇宙の根源のいのちです。すべての生命の大本が本仏と一体であるということは、私たちのいのちも本仏と一体であり、同じいのちに生かされているということです。それが仏性です。
釈尊が『法華経』で教え示されたように、修行の真の目的は、本仏と同じいのちを生きていることに気づき、目覚めることです。それが仏性開顕です。私たちが日々に行なうご供養、法座、手どりや導きといった修行や活動のすべては、その究極の目的を目指して取り組む行法なのです。
そして、すべての行法の核心となるものは「仏性礼拝行」です。仏さまと私たちの距離を離しているものは我執ですが、仏性礼拝行に徹することで、ものごとにとらわれがなくなり、私たちの心に燦然と仏性が輝きだしてくるのです。
そうした行法の核心となる仏性礼拝行には二つの方向があります。一つは内省、内観を通して、自分と仏さまのいのちが一つにつながっていることをしっかり見極める行法、いわば「自己への仏性礼拝行」です。
日々の修行にたとえると、大聖堂や教会に安置されているご本尊、あるいは各家のご宝前にひたすらひれ伏し、帰依することです。また、形の上ではひれ伏さなくても、いつでも、どこでも心の中で仏さまを念じ、お題目を唱えることもこの行法にあたります。そうした日々を送ることで宇宙の大生命である本仏と一体である自己の尊さに目覚めるのです。
会長先生がご指導くださる「ご宝前を中心とした生活」を送るということは、いつも心の中心に仏さまを存在させることです。すべてを仏さまと法に投げ出して、「私は仏と一体なのだ」「私は仏になれる」という自己の尊厳を深く味わい、かみしめることだと受け止めています。
「やさしく」「やわらかく」「まろやか」に
そのようにして、自らの心に「久遠の本仏」の実在とはたらきがしっかりと確認されていくと、自然とあらゆる人を拝む心が育てられていきます。自分ばかりか、縁あるすべての人が仏さまと同じ尊いいのちを生きていることが感じられてくるからです。
「この人は本当に仏さまのいのちを生きている」「仏さまに護られ、育てられている尊い存在なのだ」と心から礼拝できるようになるのです。
前者の礼拝行は「自己への仏性礼拝行」でしたが、これは「他者への仏性礼拝行」です。このような礼拝行が自然に行なえるようになると、家族を含め、日々に出会うすべての人に対して自他を区別する感情がなくなります。するとご縁ある人々の尊さが身にしみてわかり、どのような人と会っても、仏さまにひれ伏すような思いで接することができるようになるのです。
『法華経』の常不軽菩薩品で説かれる常不軽菩薩は礼拝行を実践することで縁ある人々の仏性を目覚めさせようと努めました。そして、『法華経』の教えに対して確信を得た後の常不軽菩薩は、すべての人々は仏さまの救いの中に生かされ、価値ある道を歩んでいるとの認識に立った礼拝行を実践していきました。法を聴くすべての人の菩提心を起こさしめ、時に応じ、人に応じて適切なる法が説ける菩薩になられたのです。
婦人部のみなさんが縁ある人に出会ったとき、「ああ、あなたはそのままで仏の道を歩み、仏に導かれている尊い人なんですね」と心から賛嘆し、礼拝しながら、法をお伝えさせていただく。するとその人の仏性も自ずと開顕し、仏さま中心の生活を送られるようになるのです。会長先生がお示しくださる「布教伝道」とは、まさにこのことを言うのではないでしょうか。
こうした自他の礼拝行がもたらす心の功徳ははかりしれないものがあります。すべての存在がそのまま仏さまのいのちの現われ(仏性)であるということが自覚できたとき、すべての人を温かく迎え入れようとする寛容の心がわき起こります。
迷いの世界で悩み苦しんでいる人に対しても、一刻も早く仏さまの世界に目覚めてほしいという慈悲心が芽ばえます。そのような寛容と慈悲の精神を平易な言葉に置きかえるならば、婦人部さんのお一人お一人の心が「やさしさ」に満たされることです。そして、どのような状況に置かれても、「まろやか」に「やわらか」に対処できる魅力的な人となっていくことです。
すると自ずと家庭も斉い(斉家)、自在に法が説ける本物の信仰者に育っていくのです。大事なことは、まず自己の尊厳に目覚めることです。そして、ふれ合う一切のものを礼拝し、賛嘆することです。信仰の究極の目標は自他の尊厳に目覚め、目覚めさせる仏性礼拝行によって、自ずと自分のものとなっていくと確信しています。私もそれを目標にして一歩一歩、精進させていただきたいと思っています。
(『ラ・カリテ』3号より転載)
(05.02.16
update)
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