| 先ごろ発刊された『春光』(青年男女部向けクラスマガジン)では、前号の創刊号に引き続き、「青年本部長と何でもトーク!!」と題し、青年リーダーの皆さんとさまざまなお話をさせて頂きました。職場や家庭などそれぞれに大変忙しい中で、部員さんのことを思い、また自らを高めようと精進されている姿に触れさせて頂くことができました。本当にありがとうございます。
私が『春光』の企画の中で皆さんにお伝えしたかったことは、「葛藤が自分を磨く」ということです。今回、企画に参加してくださった皆さんに限らず、仕事や家庭、恋愛などと青年部活動の両立、お役を果たしていく上での問題など、さまざまに葛藤を抱えた経験を持つ方は少なくないと思います。私自身もそうした経験はあります。
皆さんに申し上げたいのは、葛藤は素晴らしいということです。葛藤とは、物事に対して〈どうでもいいや〉といい加減に考えている人の心の働きではありません。慢心のある人に湧いてくる思いでもありません。〈このままではいけない〉〈もっと高まっていきたい〉という気持ちがあるからこそ生じる思いです。葛藤は仏性の現れ――そう申し上げてもいいと思います。
しかし、実際に葛藤を抱えている最中は、やはりつらく苦しいものです。心が乱れたり、迷ったりすることのない生き方をしたいと誰もが願うはずです。
では、葛藤を乗り越えるためにはどうすればいいか。それは、仏さまとしっかり対峙することです。絶対的な「信」――現実に目に見える世界ではなく、目に見えない仏さまと一体の世界を感じていくことが大切です。仮に仏さまのはからいの世界が地球ほどの大きさとするならば、私たちの才覚などはケシ粒みたいなものです。私たちはケシ粒ほどの才覚で懸命に考え、苦しみもがいているのです。
私たちが絶対的な「信」のもと、真剣に仏さまに祈り、修行精進させて頂くならば、仏さまの働き、仏さまのはからいが必ず見えてきます。仏さまがどのような道を選べとおっしゃっているのかが、きっと分かるはずです。また、私の経験から申し上げるならば、仏さまは私たちの我や個性を超えさせようと、私たちがまさかと思うような、あるいは最も苦手な、最も受けきれないような現象を与えてくださいます。一人ひとりに対する慈悲のかけ方が違うのです。それほどまでに、仏さまは私たち一人ひとりを守り、育てようとしてくださっているのです。
そうした仏さまの大きなお慈悲を確かに感じることができたならば、何の迷いも生まれないと私は信じています。「すべては仏さまのお慈悲」――そう受け止められるようになれば、さまざまに変化する現象に右往左往することなく、いつも大安心の境地で、明るく前向きに生きていけるのです。
絶対的な「信」を持つためにも、仏さまを感じる行を大切にしてください。読経供養、手どり、布施、法座修行。この4つの行に真剣に取り組んで頂きたいと思います。また、迷わない人、つまり絶対的な「信」を持った人に触れていくことも大事だと言えます。
会長先生は、「南無葛藤菩薩」と教えてくださっています。葛藤があるからこそ、真剣に仏さまに念じたり、読経や手どり修行などに取り組める、法をつかめるということだと思います。
特にリーダーの皆さんは仕事や家庭、さまざまな役割がある中でお役をされているわけですが、その一つにご法があると考えると、「また一つ役が増えた」となってしまうのではないでしょうか。やはり信仰というものは、仕事や家庭、もろもろの人間関係を串刺しにするものだと思います。その心棒がしっかりすればすれほど、どんな場でも主体的に生きることができますし、どんな縁からも学びながら生き方が確立できると思います。すべての場が修行の場になるのです。そのために心棒を太くし、磨いていくことが仏道だし修行だと私は思っています。
合 掌
(04.09.22 update)
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