| 皆さんは「かさじぞう」のお話、ご存知ですか。きっと小さい頃、絵本で読んでもらったのではないでしょうか。ちょっと思い出してみて下さい。
……暮れも押し迫った寒い大晦日。おじいさんは、正月を迎える用意をするため、笠を編んで町に売りに出ましたが、ひとつも売れませんでした。除夜の鐘がなるころ、家路を急ぐ途中、吹雪の中で寒そうにしている6体のお地蔵さんに出会いました。気の毒に思って一つづつ笠をかぶせてあげました。ところが一つ足りません。おじいさんは自分のかぶっていた手ぬぐいをかぶせてあげたのでした。その夜、おじいさんの家の前で、ドスンという音がしました。そっとのぞいてみると、米や魚やお金が、いっぱい置いてありました。遠くを見ると、笠をかぶったお地蔵さんたちが、帰っていくのが見えました……
「よい行いはいつか自分に返ってくる」というメッセージの込められたこのお話は、仏教説話としても有名で、「捧げる」こと、つまり菩薩行の素晴らしさと、その功徳を説かれた作品であるともいえましょう。
一口に「捧げる」といっても様々な種類があります。自分の楽しみたい時間を捧げて部員さんの悩みの相談に飛んでいくこと。骨の折れることであっても身を捧げて奉仕活動すること。欲しいものを買うためのお金を捧げて募金すること……いずれにしても、忘己利他の行動であることには変わりありません。
私たち青年部員が、飢餓や貧困など困難な状況に苦しむ人々に思いをはせ、毎週金曜日の昼食を抜いて食費分を献金させて頂く「スペシャル・フライデー」に象徴される「一食を捧げる運動」も、まさに菩薩行そのものです。
では、菩薩行実践の功徳とは何でしょうか。
妙法蓮華経薬王菩薩本事品第二十三の中に、「一切衆生憙見菩薩(薬王菩薩の前身)は自分の両腕に火をつけ燈明にし、世の人々の心の闇を開き、教えを求める心を呼び起こしました。そしてあらたに金色の身を得ました」という一節があります。
金というのは、化学変化の起こさない物質です。それから転じて、「永遠」「不変」をあらわすものとされています。仏像が金色に彩色されているのも、釈尊の説かれた教えが絶対であることを象徴しています。
菩薩行の実践をしていると、ともすれば自分の立場や存在がなくなってしまうような感覚になりがちです。しかし、他のために尽くすことは、絶対の教えをつかみ自分が燦燦と輝く最高の身、無上の境地を得ることにつながっているのです。
全国の青年部の皆さん、「一食を捧げる運動」の地道な実践を通して、仏さまの教えを着実につかんでいこうではありませんか。
合 掌
(04.04.23 update)
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