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会長先生は年頭ご法話で、法、すなわち真理の認識による心の転換の中に喜びがあり、この真理が人と人との対話の中で伝わることが理想で、それを一つの形としたのが法座であると教えてくださっております。
私は平成16年1月に岩間教会長さんより青年部長のお役を拝命し、教会の皆さんをはじめとした多くの方々に支えて頂き、微力ながらもお役をさせて頂いております。私の心の転換は、まさにこのお役を通して頂くことができました。お役を頂いた当初、それまでの私の時々の機根にふさわしい諸先輩方とのご縁は、仏さまが私を育てようとしてくださったものであると、新任教会役員教育の中の法座で松本青年本部長さんからご指導を頂き、喜びと希望でいっぱいでした。また、多くの青年部の仲間たちの心にも支えられ、信仰者として率先して青年部活動を進めていきたいとの思いが中心にありました。当時の私がイメージする信仰者とは「仏さまの教えを常に中心に」というものでした。
教会の青年部の仲間たちとともにいろいろな活動を進めて行く中、あるスタッフさんとの間で少しずつすれ違いを感じることがありました。何人かの他のスタッフさんもそのすれ違いを感じていました。〈そう感じてしまうのはなぜか? 仏さまの教えから見ると、信仰者としてのスタッフの心はどうあるべきで、お互いの心のどちらが、仏さまの教えに沿っているのか?〉という一方的な見方から離れることがなかなかできませんでした。私自身、そのことが苦としてしかとらえられなくなり、〈相手によりよく変わって頂くためには、自分がどうあるべきなのか? 自分がどう変わるべきなのか?〉と自問自答の毎日でした。その根底には、相手を変えようとする思いがありました。
ある時、そのスタッフさんが縁となって活動に参加されている部員さんが、本部主催の練成会に参加されました。そこで仏さまの教えの素晴らしさ、大切さ、そしてその教えに皆さんに接して頂くために、自分がどのような縁になるべきかを真剣に考えることの大切さを心に抱いて帰ってこられました。私は部員さんの素晴らしい受け止め方から、部員さんの縁になり続けてくださっている、そのスタッフさんの大切さを感じました。そのスタッフさんは本当に必要があっていてくださっている。いてくださることそのことが尊く、このような足りない自分と一緒に活動を続けてくれていることに感謝と喜びを感じずにはいられませんでした。このことを通し、仏さまの教えに沿っているから良いとか悪いという相対的な見方をあらため、違いを違いとして認め、その中に仏さまの慈悲を見つけることが大切であると感じました。
今年は、誰が良い悪いという見方をせず、どんなことでも言い合え、理解し合える法座が実現できるよう、精進してまいりたいと思います。
(2007.03.02 記載)
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