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昨年12月に青年部長の大役を拝命し、右も左もわからない状態でスタートしました。今も教会長さんはじめ多くの方々のご指導を頂きながら修行に邁進する毎日を過ごしています。
会長先生の年頭法話を拝読させて頂き、あらためて「開祖生誕100年」の昨年を振り返ってみると、相模原教会でもさまざまな記念行事・イベントが開催されました。今年は「通常の年」ということで、教会でも大きなイベントは最小限にとどめて、通常のご命日や仏教行事に力を入れていこうということになっています。そんな中、教会の目標・方針でも、法座や青少年育成に力を注いでくださるという姿勢を示して頂き、青年部長としてうれしいと同時に「責任重大だな」と痛感しております。
年頭法話に話を戻しますと、いくつかのキーワードが目に留まりました。その中でも『内省』『願生』という二つが、特に私の印象に残っている言葉です。このうち『内省』という言葉に関して言うと、会長先生がおっしゃっている通り、内省のない信仰は信仰とは呼べず、ただの独りよがりな思い込みでしかなく、それがもとで思想や意見の食い違いが発生し、過去多くの戦争や紛争が起こってきたのだと思います。常に自らの思想や行動を省みて、果たして仏さま、真理の教えに沿ったものであるかどうか、よく見極めてから何ごとにも取り組んでいきたいと思います。
次の『願生』についてですが、このことは後半で会長先生も触れられている青少年育成とも深く関わっていると思います。会長先生もおっしゃっている通り、昨年来、少年少女の自殺が多発しています。いじめや親からの虐待、人生に希望を持てなくなったことなどが自殺にいたる原因として挙げられますが、人間は皆「人さまの役に立ちたい」と願ってこの世に自ら生を受けた存在だと教えて頂いています。そのことを皆がしっかりと認識していれば、誰も自ら命を絶とうなどとは思わないはずです。また、このことは、やはりご法話の中に出てくる「法句経」の一節にも関わってくると思います。この一節にある通り、人間として生を受ける確率というのは、地球上に何百万種という生物がいる中で大変少ないものでしょう。その、とてつもなく低い確率で生まれてきた人間としての生(しょう)を思えばこそ「いま生命(いのち)あるは有難(ありがた)し」と思えるのではないでしょうか。
さらに会長先生はご法話の中で、仏教は自覚の教えであるとおっしゃっています。「人を救い、世を建て直す」と自ら願って生まれてきた生を自覚する、すなわち法師としての自覚を皆が持っていれば、自殺も含めて無駄な殺生を起こさないはずです。「どうせ自分なんか」という卑屈な感情が、自分や他者を傷つける要因になっていると思います。会長先生は今年の書き初めにも『自覚』と大書されています。命が軽視されがちな今、皆がしっかりと自覚を持って行動していきたいと思います。
以上のことを踏まえて、今年相模原教会の青年部として何に取り組ませて頂くかを考え、前任の青年部長さんを含めスタッフとさまざまなプランを組ませて頂きました。例えば男子部では「お互いを理解しあえる仲間づくり」と目標を掲げています。日々の活動を続けていると、どうしても行事をこなすということに終始してしまいがちです。皆仕事や家庭を持ちながら活動しているのですから、必然的に多忙を余儀なくされます。「忙しい、忙しい」などと言いながらお役を続けても、心が伴っていなければ何も身につきません。会長先生は“忙しい”という言葉があまりお好きでないとおっしゃっていますが、なぜかと言うと、この言葉は漢字にすると心を亡くす≠ニなるからとのことです。人間あくせくすると、文字通り心が伴わなくなり、人間関係がギスギスしがちになります。多少は行事の数を減らしても、お互い腹を割って話し合えるような、そんな仲間づくりを目指していきたいものです。
今年の教団目標のもう一つに「法座の充実」が掲げられていますが、法座こそお互いを理解し合うには絶好の場だと思います。お互いに腹を割って話し合う、そういう機会をもっと増やしていければと思います。女子部では今年に入って、毎月末に法座をしようということになりました。まだ始まったばかりですが、法座を続けていく中で、それまで築いてきた信頼関係がより強固なものになることを期待して止みません。会長先生は法座に関しても法話の中で、その場で救い・救われがある法座を展開したいとおっしゃられています。昔のように法座が開かれているその場で現象が出るというのは難しいかも知れませんが、開祖さまが生前におっしゃっていた“切れば血の出る法座”ができればと思います。
また、ここ2、3年、教会では教学研修の面がおろそかになっていた傾向があるので、今年から原口教務員さんを講師にお招きして、教育の第一課程にあたる研修を『仏教サプリ』と銘打って実施しています。2月10日現在で2回実施していますが、好評で、この研修が楽しみだと言ってくれるリーダーさんもいらっしゃいます。かく言う私も研修の内容のみならず、研修後に皆さんから聞く感想や領解を聞いて「なるほど、こんな考え方もあるのか」と新たな発見をするのが楽しみです。
少年部では、教会長さんの発案で“ごっこの会”と称して隔月で少年の日を設け、教会挙げて未来の青年部の育成に努めていくことになりました。“ごっこ”というのは電車ごっこ・お医者さんごっこなどのごっこのことです。つい最近まで子供たちは、こういった遊びを通して人間関係のルールを学んだり、情操を育んだりしていました。そんな昔ながらの遊びも取り入れつつ、子供たちの感性を磨いていこうという趣旨のもと、偶数月の第三土曜日に教会の各階層から実行委員を選出して行っていく予定です。豊かな感性を磨きつつ、会長先生の願われる、仏の前に跪くことのできる子供たちを増やしていきたいと思います。
会長先生は国際的な布教伝道についても触れられていますが、国境を越えた取り組みに関して言えば、現在教会の大学部長が、「アフリカに毛布をおくる運動」のボランティア隊として、全国の会員の代表でエチオピアに出向いています。相模原教会からは以前男子部長もアフ毛ボランティア隊としてエチオピアに行っています。大学部長の帰国後には、そんな2人がタッグを組んで、国際的な布教伝道を推進するために、「think globally, act locally」の精神で、地域に密着した足元からの実践を展開していければと願っています。
相模原教会の青年部は一昨年から昨年の暮れにかけて、青年部長も含めて青年総務ならびに各部長までのお役者が一斉に入れ替わり、それまで青年部の土台を築いてきた方たちからバトンタッチする形で現在に至っています。私も最初に教会長さんから青年部長の話を頂いたときには「なぜ私なのだろう」と卑屈な気持ちでいっぱいでした。しかし一週間の猶予期間を与えられて、何事も経験だからと思い直し、お役を受けさせて頂きました。幸い前青年部長も相談役という形で残ってくださり、わからないことは教会長さんや相談役、総務部長さんといった諸先輩方に教えて頂きながら、何とかお役を務めている次第です。“務めている”というよりは“こなしている”という表現がぴったりかも知れませんが。
それまでは、家に帰る時間にはご宝前の扉が閉まっているのを口実に、ご供養もロクにしなかった私ですが、青年部長のお役を引き受けることになってからは、「青年部長が毎日ご供養をしないわけにはいかないだろう」と思い直し、自分の部屋の机に総戒名をお祀り込みさせて頂きました。机の上にはもともとパソコンが置いてあるので、ごあいさつしても、そばから見ると、まるでパソコンを拝んでいるように見えるかも知れませんが、これもひとえに、まず自分が仏さまに跪ける人間になるための精いっぱいの工夫です。これからも各部長さんや総務さん、部員さんに支えられながら精いっぱいご法精進に邁進してまいりたいと存じます。皆さま、よろしくお願いします。
(2007.03.02 記載)
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